放置林問題解決に向けた住民参加型集合知の活用:多分野協働による持続可能な森林管理システム構築事例分析
事例概要
本稿で分析する事例は、ある中山間地域(以下、「R町」)において、長年にわたり深刻化していた放置林問題に対し、地域住民、森林所有者、林業従事者、NPO、行政、研究者など、多様な主体の参加と集合知の活用を通じて、持続可能な森林管理システムを構築した取り組みです。この活動は、約5年間にわたり集中的に行われ、現在もその成果を基盤として継続されています。単なる森林整備に留まらず、森林資源の多角的活用や新たな地域産業・コミュニティ形成にも繋がった点が特筆されます。
背景と課題
R町は町域の約8割を森林が占める典型的な林業地域ですが、国内外の木材価格低迷や林業従事者の高齢化・後継者不足により、多くの森林が適切に管理されず放置される状況が続いていました。放置林は、下草が育たず生態系が貧弱化する、土砂災害のリスクを高める、水源涵養機能が低下するといった環境問題を引き起こすだけでなく、景観の悪化、地域文化・産業の衰退、さらには所有者不明地の増加による管理のさらなる困難化といった複合的な社会・経済的課題を生んでいました。
従来の行政主導や一部専門家による対策だけでは、所有者の意向把握や合意形成、広範な地域住民の理解と協力が得られにくく、抜本的な解決には至っていませんでした。R町では、この深刻な状況を打破するため、地域に内在する多様な知恵や力を結集する必要があるという認識が高まり、本事例の取り組みが開始されました。
活動内容とプロセス
本事例の中核をなすのは、「R町森林未来会議」と名付けられた一連の協議・実践プロセスです。この会議体は、特定の専門家や行政担当者だけでなく、以下のような多様な属性の住民・関係者が主体的に参加する形式が取られました。
- 森林所有者: 個人・法人を問わず、現状の課題や将来への不安、森林への想いを共有。
- 地域住民: 森林と生活との関わり(水源、景観、防災、レクリエーションなど)からの視点を提供。
- 林業従事者: 現場の技術や経験、市場動向に関する専門知識を提供。
- NPO: 森林保全、環境教育、地域活性化の視点から参画。
- 行政: 法制度、補助金、公共事業に関する情報提供、ファシリテーション支援。
- 研究機関: 森林学、生態学、地域経済学などの知見、GIS等の技術的支援。
- 地域企業: 木材利用、新たな商品開発、販路開拓の視点を提供。
活動は以下のプロセスで進行しました。
- 現状把握と課題共有: 地域の森林の状態を示すGISデータや航空写真を行政・研究機関が提供。これに加え、住民参加型の「森林ウォーク&語り合い」を実施し、住民が実際に森に入り、現状の課題(竹林の侵食、手入れ不足、ゴミ投棄など)を五感で感じ、共有しました。この際、林業従事者やNPOがガイド役となり、専門的な視点と住民の生活実感に基づく視点を融合した情報提供を行いました。
- 集合知による課題分析とアイデア創出: ワークショップ形式で、現状把握で共有された課題の根本原因を深掘りし、「なぜ放置されるのか?」「どうすれば森が活かされるのか?」といった問いに対し、参加者それぞれの知識や経験に基づいたアイデアを自由に出し合いました。林業の収益性向上策(新しい木材利用、非木材林産物)、森林の多面的機能向上策(観光資源化、教育利用)、担い手育成策、資金調達策(クラウドファンディング、企業CSR連携)、所有者不明地への対応策など、多様な視点からのアイデアが創出されました。
- 具体的な手法: ブレスト形式、KJ法、ワールドカフェ、未来志向対話などが用いられ、異なる意見や立場が否定されず、自由に発言できる場づくりが重視されました。専門用語は避け、分かりやすい言葉での説明や図解が多用されました。
- 集合知の統合: 出されたアイデアは、類似性や関連性で整理され、実現可能性やインパクト、参加者の関心度などを基準に議論されました。この過程で、林業の専門知識と地域住民のニーズ、研究者のデータ分析力、NPOのネットワーク構築力など、それぞれの「知」が有機的に結合され、より具体的で実行可能な計画へと昇華されていきました。
- 実行計画の策定と推進体制構築: ワークショップで絞り込まれたアイデアに基づき、具体的な行動計画(目標設定、実施内容、スケジュール、役割分担、必要資源)を策定しました。例えば、「遊歩道整備と体験プログラム開発」「間伐材を活用した木工品開発・販売」「企業との森づくり協定締結」といったプロジェクトが生まれ、それぞれに担当グループが結成されました。推進体制としては、行政内に専任部署を設置するとともに、「R町森林未来会議」を意思決定と情報共有の中核とし、各プロジェクトは分科会形式で運営されました。
- 実践と検証、改善: 策定された計画に基づき、各プロジェクトが実施されました。定期的に全体会議を開催し、進捗状況の共有、課題の洗い出し、成功事例の共有、計画の見直しを行いました。実践で得られた知見(どの方法が効果的か、どんな課題が生じるかなど)は、新たな集合知として蓄積され、活動全体の改善に繋がりました。
成果と効果
この取り組みにより、R町には以下のような多岐にわたる成果と効果がもたらされました。
- 放置林の減少: 活動開始から5年間で、計画的に手入れが行われた森林面積が約20%増加しました。特に、これまで手つかずだった所有者不明地の一部についても、地域住民やNPOによる共同管理・整備が進みました(具体的な面積は町発行の報告書に記載)。
- 森林資源の多角的活用: 間伐材を利用したバイオマス燃料供給、地域産木材を使った木工品ブランド立ち上げ、森林セラピー基地認定など、新たな森林資源活用事業が生まれ、年間数百万円規模の経済効果と、数名の雇用創出に繋がりました。
- 生態系・環境機能の回復: 適切に管理された森林では、多様な植物が回復し、鳥類や昆虫が増加するなど生態系の健全性が向上しました。水源涵養機能の回復も確認されています(町による定点観測データに基づく)。
- 地域コミュニティの活性化: 森林未来会議やプロジェクト活動を通じて、これまで交流の少なかった森林所有者、住民、異分野の専門家同士のネットワークが生まれ、地域内での対話や協力が進みました。特に、移住者や若者も積極的に参加し、新たな担い手として活躍する事例が見られました。
- 地域住民の意識変容: 森林に対する関心が高まり、「自分たちの森」という意識が醸成されました。森林管理の重要性や多面的な価値への理解が深まり、個人的な活動(自宅周辺の森の手入れなど)にも繋がっています。
- 行政サービスの効率化: 住民からの情報提供や協力体制ができたことで、行政が単独で行うよりも効率的かつ効果的に放置林問題に対応できるようになりました。
成功要因と工夫
本事例が成功に至った主な要因として、以下の点が挙げられます。
- 多様な主体の巻き込みと平等な対話: 特定の利害関係者だけでなく、森林に関わるあらゆる立場の人々を初期段階から巻き込み、それぞれの意見が尊重される対話の場を設定したことが、信頼関係構築と多様な視点からの集合知形成に不可欠でした。行政や研究機関が「教える側」ではなく「共に考える一員」として参加したことも重要です。
- 課題の「自分ごと化」の促進: 森林ウォークや分かりやすい情報提供を通じて、放置林問題が「遠い問題」ではなく「自分たちの暮らしに関わる身近な問題」であることを住民自身が認識できるよう促しました。
- 効果的なファシリテーション: ワークショップや会議では、専門的な知見を持ちつつ、異なる立場の意見を丁寧に引き出し、対立を調整し、共通の目標へと導く高いスキルを持つファシリテーターが配置されました。
- 集合知を具体的な行動へ繋げる仕組み: 出されたアイデアを議論だけで終わらせず、具体的なプロジェクトとして実行する推進体制と、その実践を通じて得られる知見を再び全体に還元するサイクルを構築しました。これにより、「自分たちの意見が活かされている」という実感と、継続的な改善が可能となりました。
- 情報・知識の可視化と共有: GISデータや活動状況のレポート、成果物の展示などを通じて、専門的な情報や活動の進捗状況を参加者全体で分かりやすく共有しました。専門家は自らの知見を平易な言葉で説明する努力を行いました。
- 行政の伴走支援: 行政が単に予算を配分するだけでなく、会議体の運営支援、関係機関との連携調整、法的な助言など、継続的な伴走支援を行ったことが、活動の基盤を支えました。
課題と今後の展望
本事例においても、いくつかの課題が存在します。
- 担い手の高齢化と新規参加者の定着: 活動の中核を担うメンバーの高齢化が進んでおり、新たな担い手、特に若者や移住者の継続的な参加をどう促すかが課題です。
- 資金の安定的な確保: 行政からの補助金に依存する部分が大きく、活動を持続・拡大していくためには、森林資源活用事業の収益向上や、企業版ふるさと納税、クラウドファンディングなど、多様な資金調達手法を組み合わせる必要があります。
- 所有者不明地の増加への抜本的対応: 森林経営管理法に基づく市町村による管理権取得など、法制度を活用した対応を進める必要がありますが、対象地の選定や手続きに時間を要するため、集合知による地域内での草の根的な管理活動との連携強化が求められます。
今後の展望としては、構築したシステムをR町内の他の地域にも横展開していくこと、気候変動に対応した新たな森林管理手法(例えば、樹種転換の検討)を集合知で議論していくこと、森林資源を活用した新たな産業を育成し、地域経済の活性化にさらに貢献していくことが掲げられています。
他の地域への示唆
本事例は、放置林問題という複雑で根深い課題に対し、住民参加と集合知が有効な解決策となりうることを示しています。他の地域がこの事例から学ぶべき点は多岐にわたります。
第一に、課題解決には多様な「知」の統合が不可欠であるという点です。専門家や行政の知識だけでなく、地域住民の経験や生活実感に基づく知恵、NPOの社会課題解決に向けた熱意やネットワーク、企業のビジネス感覚など、異なる分野の知見を掛け合わせることで、単独では思いつかないような革新的なアイデアや解決策が生まれます。特に、形式知だけでなく、地域に埋もれた実践知や暗黙知を引き出す工夫(フィールドワークと組み合わせた対話、ワークショップ形式での意見交換)が重要です。
第二に、多様な主体が対等に参加できる「場」の設計と運営です。異なる立場や意見を持つ人々が安心して発言し、互いの「知」を尊重し合える環境づくりが、集合知を有効に機能させる上で最も重要です。効果的なファシリテーションの技術や、専門用語を排した分かりやすいコミュニケーションが、その鍵となります。
第三に、集合知を「アイデア」で終わらせず「行動」に繋げる具体的な仕組みです。議論から生まれたアイデアを実行可能な計画に落とし込み、誰が何を担当するかを明確にし、定期的に進捗を確認・共有し、実践で得られた知見を次に活かすサイクルを回すことが、持続的な活動には不可欠です。行政がこのプロセスを側面から支援する役割も重要です。
本事例は、放置林問題に限定されるものではなく、地域が抱える様々な複合的課題(例えば、遊休地の活用、空き家対策、地域内交通、高齢者の社会参加など)に対しても、住民参加型集合知のアプローチが有効であることを示唆しています。地域に眠る多様な「知恵」を掘り起こし、繋ぎ合わせ、共に未来を創るプロセスは、内発的な地域活性化の鍵となると言えるでしょう。
関連情報
放置林問題や地域における森林管理に関しては、森林経営管理法による新たな制度や、コミュニティ林業と呼ばれる地域住民が主体となって森林を管理・活用する取り組みが注目されています。また、森林の生態系サービスを経済的に評価する研究や、リモートセンシング技術(GIS、ドローン)を活用した森林資源管理なども進展しており、これらの専門的な知見と地域住民の集合知をいかに効果的に連携させるかが、今後の地域における森林管理の重要な論点となります。本事例は、こうした専門知と地域知の融合の一つの成功例として位置づけることができます。